あれから10年 〜ワンダーパヒューム〜
05/04/10
競馬を始めたきっかけっていうのを話したいと思います。
あれは1995年。桜花賞の1週間前くらいの時期です。
当時の僕は、競馬に全く興味がなく、前年のナリタブライアンの偉業でさえ、
耳にしたことはあったかもしれない、という程度でした。そんな僕が、偶然ある新聞記事を目にしました。
それは、当時の読売新聞の夕刊に出ていたもので、来週末に迫った桜花賞についてのコラムでした。
内容は覚えていませんが、ある一頭の馬に対する関係者の意気込みというか、そんなことが
書かれていた気がします。何故だかそれを読み終えたあと、この馬を応援したい気持ちになり、
次の日曜日を迎えました。
1995年4月9日。僕は初めて競馬を見ました。
「このあいだ記事に書いてあった、あの馬はどれかな?」
それ以上何もわからず、とにかく初めて見る種類の映像の中から名前だけを当てにして探しました。
そして探し当てた瞬間には、既にレースは終わっていました。実況のアナウンサーは、
少々興奮気味にその名前を連呼していました。探していた馬は先頭でゴールインしていたのです。
騎手がガッツポーズをしていました。
しばらく何が起こったかわかりませんでした。でも確かにコラムに載っていた名前と、
勝った馬の名前が一緒なのです。そのとき少しだけ鳥肌が立ちました。
「これが競馬なのか。」
その衝撃を与えた、若き女の子、
その彼女の名は「ワンダーパヒューム」
僕の競馬の礎となった子です。
毎年阪神競馬場で行われる桜花賞は、その年の阪神大震災で使えず、京都競馬場で開催することが
決まっていました。そして、ワンダーパヒュームは、桜花賞のトライアルレースである
アネモネステークスの2着に入り、出走権を得ていました。これを含め、本番時の戦績は、
3戦1勝2着1回3着1回。当日は7番人気で、それほど人気が高いわけでなく、穴人気といったくらいの程度でした。
しかしレースでは、彼女の更に後ろから来る並居る人気馬たちを抑え、勝ったのです。
そのときの人気馬は、良血ダンスパートナー、地方笠松の星ライデンリーダー、
実績No.1プライムステージなどです。今聞けば、ぉぉぉぅ、なかなか豪華メンバーじゃないか!って思えますね。
こうして、彼女を応援することで競馬を見るようになり、興味を持ち始めました。
しかし悲劇は1年も経たぬ間に訪れました。
1996年1月28日 京都競馬場第11R 京都牝馬ステークス
9戦目。
復活の勝利に向かって走っていた彼女は、二度とゴール板を通過することはありませんでした。
思い出の地、GIを勝った、あの京都競馬場の3コーナー。
骨折予後不良。
よくわかりませんでした。何が起こったのか、彼女が突然レースをやめてしまった理由が。
目の前が真っ白になり、何もわからなくなりました。
この事件はショックでした。初めての競馬、初めてのファン、初めての悲劇。
しかしこの事件がなかったら、ここまで競馬にはまらなかったかもしれません。
その後、サイレンススズカ、ワンダーファングなどの悲しい出来事もありました。
今でも競馬で怪我をする馬、予後不良になる馬は絶えません。あの細い足で400kg以上の体を支えているのだから
きっと仕方のないことです。そうならないようにするために、芝を少し柔らかくしたりと、
いろいろ対策を講じているのも事実です。
こういった対策が十分なされ、馬の怪我が一つでも少なくなるよう、JRAには力を入れていただきたい。
悲しい想いをする人が、悲しい結果になってしまう馬が、これ以上出ないように。
今日は、桜花賞。あれから10年です・・・